夏の忘れ物  第七話 −ぬいぐるみ−



「・・・ご、ごめんね・・・三洲くん・・・・」
眠たそうに、葉山はつぶやく。
夕飯を終えてひと休みしたところへ急に睡魔に襲われた。
時刻は8時25分。
「これも時差ボケって言うのかなぁ・・・今まで時差ボケって無かったんだけど・・・」「いいから早く休めよ。ベット使って良いから。」
放って置いたらそのままソファーで寝てしまいそうだ。
のそりのそりと動く葉山の腕を引いて部屋に放り込む。
「おやすみ、葉山。」
ベットまでたどり着いたのを確認して戸を閉める。
小さく「おやすみーーーー。」と言う声が聞こえた。
つけっぱなしになっているテレビの音量を下げる。
チャンネルをいろいろ変えてみても興味を引くような番組はやっていない。

適当なチャンネルに合わせて雑誌を取り出す。
どこにでもあるようなファッション雑誌。
しばらくの間軽くながめながらページをめくっていく。
ふと、あるページで手が止まる。
原宿にある洒落たレストランと言うよりは喫茶店に近い店。
シックな作りの店内の写真と記事。
「確かここ、今度行こうって話をしてたっけ・・・」
よく行くヘアサロンの近くに新しくできていた店。
パスタ系がうまいと評判だった。

『いい雰囲気ッスねー次来た時はここでお昼しましょうよ!』
と、通りから店内をのぞき込んでいた真行寺。
ため息を一つついて雑誌を閉じる。
「葉山がいてくれてよかったな。」
この家には真行寺の気配が多すぎて・・・・

ここに一人でいたら、それらに押しつぶされそうな気がする。
葉山が・・・第三者がここにいるおかげでギリギリ自分を支えていられる。
葉山もそれを心配してくれているんだろうか。

俺の中でいつの間に真行寺の存在はこんなに大きくなってしまったんだろう。
少しずつ積もっていく思いに戸惑いもしたし、それを認めるのは負けを認めることの様な気がして悔しかった・・・・
だから真行寺への態度を変えるようなことは出来なかったし、悟られまいと必死だった。
素直になれたら・・・素直に泣けたら・・・少しは楽になれるんだろうか・・・

重く押しつぶされそうな心を何とか踏みとどまらせて、気晴らしにキッチンへと向かう。戸棚から紅茶の缶とティーサーバー取り出す。
慣れた手つきで紅茶を入れる。
あたりを漂う香りが幾分、心を軽くした。
もともと紅茶はあまり飲まなかったが、たまたま入った喫茶店で飲んだ紅茶がおいしくて自宅でもよく飲むようになった。
お気に入りはアールグレイ。
ちょっと癖のある香りが何とも言えない。
フルーツ系の葉も何種かあるけれどこれが一番落ち着く。

耐熱ガラスのポットの中を踊るように舞う葉を見つめる。
『アラタさんにおいしい紅茶を入れれるまで頑張るッスよ!』
何杯も何杯も紅茶を入れて、その度に全部飲んで具合悪くしてたっけか。
やっとまともに入れれるようになったのにな・・・
もしかしたら紅茶の入れ方まで忘れてるかもしれない・・・
俺のことを忘れてしまったのだから・・・・
俺に関することは何一つ・・・

入れた紅茶を手にリビングへと戻る。
折角気分転換にと入れた紅茶なのに、あまり旨くはなかった。


ソファーの裏側に何かが転がっているのが見えた。
手を伸ばして取り出すと、大きなぬいぐるみ。
「あいつ、こんな所に転がして・・・」
真行寺お気に入りのクッション。
くたっと寝そべった様な格好の愛嬌のある犬のぬいぐるみ。


「アラタさん!プレゼント!!」
大きな犬のぬいぐるみを抱えて部屋に飛び込んでくる。
「・・・・なんだそれ。」
「なんだってぬいぐるみ。犬の。」
「そんなことを聞いてるんじゃない。」
「ゲーセンで取れるかなってやってみたら一回で取れたんすよ!すごいっしょ?」
 200円だよ200円。店で買ったら3000円はするって〜とはしゃぐ真行寺。
「・・・そんなでかいもん抱えて道歩いてきたのか?」

恥ずかしい奴・・・・

「アラタさんうれしくない?俺からのプレゼント。」
「どうせもらうならもっと実用的な物がいい。この年でそんなもんもらってどう喜べと?」
「ええーかわいいじゃぁん〜。」
「かわいいとかそう言う問題じゃない。」
「ちぇ。じゃー俺が使う。名前つけてやろうっと。」

バフっとぬいぐるみごとベットへと倒れ込む。
「ぬいぐるみに名前って・・・ホントおこちゃまだな・・・」
ため息混じりにつぶやく。
「どうせおこちゃまですよ〜あ、決めた!」

いじけていたかと思うと、すぐにパッと顔を上げる。
お前のネーミングセンスが楽しみだな。
どうからかってやろうかと、期待しているところに真行寺はつぶやいた。

「あらた」

「・・・はぁ?」

「あらたに決定♪」
『あらた』と呼びながらぬいぐるみを抱きしめてベットの上を転がる真行寺に
速攻で手元にあったペンケースを投げつける。

「却下。」

「うわっ。あぶね。」
かろうじて外してしまった。
「俺はそんな間抜けた面はしていない。だから却下。」
「もう決めたからだめっす。」
「『カネミツ』とでもつけておけよ。犬な上に間抜け面までそっくりだ。」
「・・・・おれだって間抜け面じゃないですよ・・・」
「こんどそいつについてる首輪と同じ色の首輪買ってやろうか?」
意地悪く横目で言い放つ。
「・・・・アラタさん、ひどい・・・・」
「ふん。ぴったりじゃないか。」
「あ、『カネミツ』ってつけたらアラタさんこいつのこと『カネミツ』って呼んでくれる?」
「はあ?」
唐突に何を言い出すんだ。こいつは。
「アラタさんやっぱり俺のこと『兼光』って呼んでくれないし。」
兼光って呼ぶ練習だと思ってさー。
のんきに笑う真行寺。
「わかったよ。俺はそいつのことを『バカ真行寺』と呼ぶことにしよう。」
「素直じゃないっすねーアラタさん。照れなくても良いのに。なーあらた。」
「うるさい!」
俺は辞書をひっつかむと真行寺にむかって投げつけた。
またしても外してしまった。
「辞書は反則っすよ!アラタさん!!」



結局真行寺はこいつを『あらた』と呼んだ。
紛らわしいからやめろと何度もいったのに。
最初よりも幾分つぶれてしまったぬいぐるみ。
真行寺がクッションにしていたせいだ。

「あいつ、お前の事も忘れてるかもしれないぞ?」
膝の上にのせたぬいぐるみに話しかける。
ぬいぐるみに話しかけるなんて馬鹿馬鹿しい。

「なんたって、お前の名前は俺とおなじ『あらた』だからな。」
俺はお前のこと『バカ真行寺』って呼んでたけど・・・
ぬいぐるみは相変わらず愛嬌のある顔でわらっている。
「ホント、そっくりだな。」
呟いて軽く顔を埋める。
微かに・・・判るか判らないかのわずかだけど、覚えのある匂いが鼻腔をかすめた。

「っく・・・」
熱くなる目頭から涙がこぼれる。
それは頬を濡らし、柔らかい布地のぬいぐるみに吸い取られていく。
のどの奥からこみ上げる嗚咽を必死にかみ殺す。
そうだ・・・もしかしたらもう、この匂いを身近に感じることが出来なくなるかもしれないんだ。

俺を抱きしめた腕のぬくもりも、耳元でささやかれた声も、言葉も・・・
もう、感じることは出来ないかもしれない・・・・

どうして今まで気がつかなかったんだろうか。


真行寺が俺とのことを必ず思い出すなんて保証は無いじゃないか。


あの日まで、当然のように俺に向けられていた笑顔はこの先、俺ではなくて別の誰かの物になるのか・・・?

『俺、アラタさんが他の誰かを好きになっても、ずっとアラタさんのこと想ってるから・・・』

うそつき・・・・

『俺が一番大事なの、アラタさんだよ?』

大事なのに忘れるのか?俺のこと・・・・俺だけ。

突然気がついた事実に、絶望を感じる。

お前、卑怯だよ・・・こんなの卑怯だ。
お前の側に居場所を見つけてしまったのに。
やっとここまで来ることが出来たのに・・・

記憶をなくしたのが俺だったら良かった・・・・・
そうすれば、真行寺は失った時間を取り戻そうとする。
二人の関係を、一からやり直そうとしただろう・・・・
どんなに鬱陶しいと思っても、きっと俺は、もう一度あいつの側に居場所を見つけるだろう。

認めたくないと抗いながら、あいつとなら何度だって恋に落ちる。

だけど・・・俺には・・・・


頬を濡らす涙を吸い取るぬいぐるみにまるで真行寺の指が涙を拭うかのような錯覚を起こさせる。



「・・・真行寺」

名前を呼べば更に切なく胸を締め付ける。

「・・・兼光・・・」

それでも呼ばすにはいられなくて・・・・


いくらだって呼んでやるよ・・・だから・・・・・


何度も、何度も。

名前を小さく呟やいた・・・・・・

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真行寺とぬいぐるみ〜似合うなぁと思ってみたり。
アラタさん、真行寺への思いを改めて実感(?)したようです・・・・