夏の忘れ物  第十五話 −終焉−



「三洲さん・・・?」

バイト帰り、不意に呼ばれて反射的に顔を上げる。
「・・・・・真行寺?」
人通りのない住宅街。外灯の明かりに照らされて真行寺が居た。
「・・・新宿じゃなかったっけ・・・?」
まだ9時前で、終わったにしては早い時間だろう。
第一この道は普段使わない道で、家に帰るには方向が逆だ。
「あの・・・」
言葉を詰まらせる真行寺。
暗かったから気がつかなかったが、隣にもう一人。
不思議そうに俺を見ている女の子。

−ああ・・・そうか・・・・

「なに、彼女?」
何かが壊れていくのが判った。
音を立ててではなく、さらさらと砂のように細かくなって・・・そして消えていく。
「え・・・その・・」
真行寺の複雑な顔。
「こんばんわ。」
にっこりと彼女に笑いかける。
「こ、こんばんわ。」
恥ずかしそうに頭を下げてそれに答える。
その仕草は自然に可愛いいと思えて、クスリと笑いが漏れた。
「それじゃ。」
そう一言いって、二人の脇を通り抜けていく。
「み、三洲さ・・・」

心の中は不思議に落ち着いていた。
無意識に落ち着こうとしていたのかもしれない。
でも、もうそんなことはどうでも良かった。

真行寺が距離を置くようになったのを感じた時から、覚悟していたことだから・・・
俺と一緒に歩いていくよりも、その方があいつにとって普通で、幸せな道に違いない。

「三洲さん!」
グイッと腕を捕まれる。
「どうした?真行寺。」

泣きそうな顔。

バカだな。お前がそんな顔するな。

「あの・・・」
「俺のことは気にしなくていいから。ほら、彼女待ってるだろ?」
にこりと笑ってやる。
「いい子見つけたじゃないか。今度時間ある時にちゃんと紹介してくれよ。」
「み・・・・」
困惑した表情の真行寺。
俺がこんなこと言うとは思わなかったんだろうか。

「そんな顔するなって。俺は大丈夫だよ。お前が距離を置き始めたときから
覚悟してたから。だから気にしなくていい。彼女放って俺んとこ来たら誤解されるぞ?」
「だって三洲さん・・・・泣きそうな顔して・・・・」

真行寺の言葉に俺はドキリとする。
笑っているつもりだったのに・・・・泣きそうな顔をした?いつ?
「見間違いだよ、真行寺。」
真行寺のセリフを笑い飛ばしてやる。

「今だって・・・泣いてるじゃないですか・・・・」

「何言ってるんだ?お前は。何で泣かなきゃ・・・」
不思議に思って頬をさわる。
指先を何かが濡らした。

・・・涙・・・・?俺の??

何で泣いて?確かに全く平気じゃないけど、泣きたくなる程辛いわけじゃない。

いつから・・・・

「俺・・・確かに三洲さんのことで考えることあったけど、
泣きながら笑って・・・そんな顔見せられたら誰だって放って置けないっすよ。」

自覚のない涙。

いつもなら特に意識しなくても自分の感情を偽ることが出来るのに。
それが出来なくなる程に俺は・・・

頬へと延びてくる真行寺の右手。
冷え切った頬に触れる暖かい指先。
その暖かさに凍り付いていた感情が溶けだしていく・・・・

「だから・・・もう泣かないでください。」

真行寺がそう言ったのと、おれが真行寺の右手をたたき落としたのは同時だった。




パン!
乾いた音と、鋭い痛み。
びっくりして三洲さんを見る。
「三洲さ・・・」
「・・・触るな。」
冷たい声が響く。声と同じく冷たい目で見られて睨まれて動けなくなる。
その目からは涙がどんどん溢れている。
「2度と俺に触るな・・・・」
そう吐き捨てて、三洲さんは身を翻して走っていく。
俺は動けずにその後ろ姿を呆然と見つめていた。

一度拒絶してしまった三洲さんの感情。
それを自覚して三洲さんとの間に線を引いてしまった自分。
でも、それは嫌いになったとかじゃない。
三洲さんのことは好きだ。でもそれは恋とかじゃなく友情や尊敬。
嫌いじゃないから・・・放っておけなかった。

泣き顔は見たくないと・・・・・・・

ドクンと心臓が鳴った。

それは次第に大きく、早く。
全身の血が抜けてくような感覚に、以前何かを思い出しかけた日を思い出す。

何か・・・思い出そうとしてる・・・・
早鐘のような鼓動が早く思い出せと急かしているようだ。

なにを・・・・・ナニヲ・・・?

・・・泣き顔・・・・・涙・・・・

三洲さんの涙・・・・・

泣かせたくないと思ったのは・・・・

叩かれた右手がヒリヒリと痛む。

『だから・・・泣かないで・・・』


ドクン


暗闇の中、静かに涙を流すアノヒトに投げかけた言葉・・・

アノヒトは誰?

『ナカナイデ・・・・ズットソバニイルカラ・・・・』

ドクン

側にいるから泣かないでと・・・細い体を抱きしめた・・・・

あれは・・・・・・・・


「あ・・・あらた・・・さん・・・・?」

閉じこめられていた記憶が一気にあふれ出す。

初めて会った冬の日。
桜の舞う中の別れ。
辛さも、喜びも・・・たくさんの思い出の詰まった祠堂での3年間・・・

指折り数えて待ち望んだ祠堂の入寮日。

まだ寒さの残る構内を必死で探し回った。

強くなりたい、あの人を支えられる強さが欲しいと願った。



なんで・・・・忘れることが出来たんだろう・・・


「真行寺くん・・・・あの・・・大丈夫・・・?」
不安そうな若菜ちゃんの声が聞こえた。
「・・・・・ごめん・・・・若菜ちゃん・・・」
やっと絞り出すことの出来た声はかすれていた。
「真行寺くん?泣いて・・・」
切なくて、悔しくて涙がこぼれる。

「ごめん、若菜ちゃん。俺大事な人がいるんだ。」
「え?」
「事故の時からその人のことずっと忘れたままだったけど・・・
俺がどれだけその人のことを好きだったのか・・・やっと思い出せた。」

彼女にとっては残酷な言葉・・・でも、アラタさんが大事だから・・・

「だから・・・ごめん・・・・」

俺は若菜ちゃんに頭を下げる。

「・・・そっか・・・残念だな。」
「ごめん・・・・」
「ちょっとびっくりだけど・・・うん。謝らないで。」
言う言葉もなく、頭を下げたまま黙り込む。
自分の不甲斐なさで、アラタさんはもちろん、彼女まで傷つけてしまった。
「今日はありがとう。楽しかった。」
「若菜ちゃん・・・」
「家、ここからそんなに遠くないからもう大丈夫。それじゃ、真行寺くん・・・」
「・・・・」
「・・・バイバイ・・・」
にっこりと笑う彼女の笑顔は、俺にはとても痛かった。






頬に触れたぬくもり。
優しい言葉。

耐えきれずに振り払って逃げ出した。

ずっと欲しかったモノ・・・・
無くしたくないと願っていたモノ・・・

別れが決まった瞬間に不意に与えられた。
でも、それらに込められた感情は・・・・同情。

俺が待っていたのはそんなものじゃない。
もう2度と自分のものになることはないのだと自覚した瞬間。

感情を押さえることが出来なかった。


走り出して、気がつけば大きい公園の奥にある廃れた教会だった。
壁も所々崩れ、廃墟に近い教会。

廃墟と言っていい趣の教会は公園の奥というのもあり、普段から人が立ち寄ることはない。

真行寺が、春に見つけたこの教会は変わらないたたずまいだった。

『クリスマスにここに来ようよアラタさん。』

クリスマスにわざわざこんな教会に来る人は居ないだろうしこの廃れた教会で過ごすのも雰囲気良くない?

そう笑っていた・・・・
ふざけるなと殴ってやったっけ。

なのに今、俺はここで腕の欠けたキリスト像を見上げている。

羽根が砕けた天使を見上げている・・・・・・・

「気がついたらここにいたってのが、我ながら笑えるな。」

失った時の痛みが嫌だから特別なものを作ってこなかった。
大切なものを作ってしまったら、身動きがとれなくなる。

真行寺と居るときは、いつも自分に言い聞かせていた。
『卒業したら終わりだ』と。
者でも、場所でも、人でも・・・執着する事がなかった俺がただ一つ執着したもの。

それが真行寺だった・・・

きっと最初で最後の俺の居場所。

もう、あいつ以上に無くしたいものなんて見つからない。

壊れかけた参列者用の椅子へ腰掛けて天井を仰ぎ見る。
割れた窓から差し込む外灯の明かりでうっすらと照らされている壁画。
すすけてはっきりとは見えない。
じっと見つめていると、視界がだんだんとゆがんでくる。

今度は自覚できる。
目を閉じれば暖かい涙が頬を伝う。

明日からのことはあまり考えたくない。
このまま時間を止めてしまえたら、どんなに楽だろうか・・・
喪失感を抱えたまま、歩かねばならない遠い道のり。
どれだけ時間がたてば懐かしい思い出になるのだろうか。

そうだな、葉山。お前の言ったことは正しいよ。
やるだけやった結果がこれだ。
この数ヶ月あまり、後悔しないように精一杯やった。
道は分かれるにしろ、最後の最後まで一緒に歩けたと思う。
もう少しだけで良いから・・・側にいたかったけど・・・

納得できる別れだと思う。

だけど・・・すぐには気持ちは切り替わらない。
だから今だけは泣こう・・・この痛みはここに置いていこう。

次にあいつにあっても、笑って皮肉の一つも言えるように・・・

「バカ真行寺・・・・」

声も出さず、ただ静かに涙を流した。




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